MASARU KAWAI

MASARU KAWAI

森が

2018 09 11

僕が幼い頃から遊んでいた裏山が、太陽光事業者に買われ、全てパネルで埋め尽くされてしまうことになりました。

夏には虫を追いかけ、秋にはドングリを拾い、多くの時間をこの森で過ごしました。
どんなに暑い日でも涼しい風が駆け抜け、沢山の鳥や動物が住む森です。

残念でなりません。

反対運動を盛り上げるべくこの一年走り回っておりましたが、結果的には無力でした。
その中でも痛感したのが、一般の方々の森に対する興味のなさでした。
これは都市部よりむしろ、地方に言えることかもしれません。

100年前ならば、身の回りの道具のほとんどが木でできていました。
当然森の存在は近く、森が滅ぶことは自身が滅ぶことであり、森の声に耳を傾け大切に、あるいは敬い接して来ました。

しかし現代は、森などなくとも生活は成り立ち、森は不要、無用、いやそれよりもむしろ煩わしいのものへとなってしまったように感じざるをえませんでした。
もちろん全ての方がそうだったわけではありませんが、特に、田舎では今だに発言権のある60代以上の男性に多く感じました。
また子供のいる世代では、上の世代に遠慮し、または諦め、声をあげること自体を控えているようでした。

今となっては、あの時ならまだあんなことも出来たのでは、などと思いつくことも多々ありますが、やるべきこと、やれることはやったのだから、という気もします。

そして自分の力のなさも痛感しました。
何を言っても説得力がなく、何をやっても中途半端だったと感じています。

でも、少しだけ良かったこともあります。

僕ももうすぐ40歳で、いつまで仕事ができるか分かりませんが、「美しい自然を後世に残すため」に仕事をしよう、という覚悟が生まれました。

やることは今までと変わりません。

森はこんなに可能性がある、こんな風に使える、こんなに楽しい、ということをもっと伝えていきたいと思います。

来年春には、大きな展示会があります。

自分のやりたいことを全て出し切ろうと思います。