MASARU KAWAI

MASARU KAWAI

無題

2017 08 20

先日、いつもお世話になっている、ある大先輩グラフィックデザイナーとメールのやり取りをしていて、とても良い思考状態にはまった。
年に数回、人との会話や、本の中や、時には運転している瞬間になど、良い状態になることがあるが、今回はたまたま文字として残っていたので、許可を得てここに転載してみます。
(前後のやり取りがないとわかりにくい部分もありますが、そのままを載せます。)

**********

Yさま

資料を拝見し、思い出したことがあります。

先日、とある講演を聞く機会がありました。
そこで知ったことですが、山形県のある村で、数百年もの間飢饉で死者を出していない村があるそうです。
そこは山に囲まれた雪深い場所ですが、周りの山を全て共同で管理しているそうです。
山々を24等分し、年に一回その1/24を皆伐し、村全体で使う一年分の薪を得ます。
その場所は次の年には山菜がたくさん取れ、そこから5年間は切り株からキノコが採れ、ソバを撒いたりし食料を得ます。
また次の年は、次の1/24の山を伐ります。そしてまた次の年も、、、
そうやって24年して元の場所に戻ると、皆伐した場所はすっかり元の山に戻っているということなのです。
(これはこの地域が、24年というサイクルを持っているのであって、他の地域は、気候や土壌によって違ったスパンになると思います。焼畑農業も、おそらく同じ原理だと思います。)

何百年もの間、山が山として持続し、かつ人間の側も餓死者が出ない。
これは地域として、山と人が、動的平衡を保っているということではないでしょうか?

日本は雨も多く、四季があり、植物が成長するのにとても適した国です。
他方、ヨーロッパは基本的に土が薄く、さらに寒冷な場所などでしたら、この24年というスパンはおそらく100年200年になると思います。

僕はこのスパンの違いが、建築や家具の対応年数の違いであり、よって木の文化の違いの根底であると思っています。

ヨーロッパの家具は元々、永く使えるように、ガチガチに作るのではなく、修理すること、しやすいことを前提に作られています。
抜けないホゾにするのではなく、接着剤(ニカワ)の対応年数か切れたら自然にホゾが抜け、また接着剤を入れて組み立てます。
そうやって代々使われてきました。

翻って、日本の建築は、基本的に白木です。さらに地面に直接柱を立てる「掘っ立て」でありさえします。
当然、木は消耗しやすく、対応年数も短いです。
しかし、日本ではこれが可能だったのです。次の木が育つまで持ちさえすれば持続可能になります。
こう書いていて思いましたが、日本の建築には、生と死が色濃く現れていますね。
木と人が、今よりいっそう近い存在だったのだろうなと、容易に想像ができます。時間というスケールにおいても。

僕がSOMAで目指しているのは、森と人が動的平衡を保っていた(=インタラクティブに繫がっていた?)時代への回復なのかもしれません。
元々は平衡を保っていた人と自然の関係が、戦後復興を旗印に杉と檜を植えすぎたことで崩れてしまった。
経済を最優先にするあまり、自然とどう繫がっていたのかを忘れてしまった。
そして今、杉と檜を使うことで、かつての平衡状態へ少しでも向かえるようなベクトルにおいて製作したい、ということなのかもしれません。
自分自身、分かっていなかったのが可笑しいですが、何かここで少しクリアになった気がします。

またYさんがおっしゃるように、ギャラリーとか作家とか消費者の問題ではなく、人間と自然がこれからどういう関係性で生きていくのか、ということを作ることを通して考えたいのだと思います。

最後に、ここに書いたことは、全て人間の側からのことですね。
このことを考えるのと同時に、植物の視点から人間を考えることもできればと思っています。もちろん、全てを理解することは不可能ですが、できることはなんでもしてみたいな、と。ちなみに今、「樹木たちの知られざる生活」ペーターヴォールレーベン著という本を読んでいます。なかなか面白いです。
また11月25日には、コズミックワンダーの個展の初日に、専門の方に南青山を植物の観点から案内してもらうツアーを行います。
ご都合よろしければ、ぜひご参加くださいませ。

いつも、とても良い刺激を頂いています。
本当にありがとうございます!