MASARU KAWAI

MASARU KAWAI

6 years.

2017 03 11

6 years have passed since the eastern Japan earthquake.
It’s a beautiful night.

雑感

2017 02 21

僕の実家のすぐ近くに、巣雲院(皆、ソーニーと呼ぶ)という廃寺があるのだが、そこの関連行事で、「お日待ち」というものがある。
それは稲刈りが終わり、ほっと一息ついた頃の満月の夜、村人が集まり、月見をして餡子の餅を食べながら、夜通し狂俳(五七、または七五のみの句)を詠み合う、かつては農民の娯楽だった。
狂俳はお題があり、それについてユーモアを交えて詠む、今でいう川柳や、あるあるに近いものだそうだ。
僕の90歳になる祖母が、お義父さんから伝え聞いたというので優(ゆう)に100年は超えているのだが、その時の「あれ」という題について、「羽織の襟がちょっとなも」と詠った人がいたのだそうだ。
「あれ」は、あれ?でもアレでもなく、あれチョイとお前さん、みたいなニュアンスの「あれ」なのだが、そのお題に対して、羽織の襟がちょっと立ってますよ(なも、は意味のない方言の韻みたいなもの)と詠んだ句に対して、最高の<天>という点数が付いたそうだ。おそらく皆さんの笑いと、あるある〜!という大賛同があったのだろう。
稲刈りが無事終わり、収穫した米と豆で餡子餅を食べ、その年の田んぼや畑の事を語り合いながら、月見をして歌を詠み合う。なんて豊かな時間だったのか!
またその歌が、こうやって現代まで言い伝わってきた事にも、なにかとても感動してしまった。
現在のお日待は、みんなで集まってご飯を食べるだけのものになってしまっているそうで、おそらくあと10年もしたら、行事自体が無くなってしまうのだろう。
農業自体が変わってしまった今、そうなってしまうのも必然でしょうがないと思うのだが、どうかその、心の品や余裕みたいなものが無くならなければいいと願ってやまない。

経木の蓮弁皿

2017 02 21

木工の仕事をしていて一番美しいと感じるのは、
鉋を薄くかけ、それまで閉じ込められていた内側の木の香りがふっと立ち上った瞬間です。
その瞬間を、できるだけそのまま形にしたいと思ったのが
この商品を作りはじめたきっかけです。
割り箸の素晴らしさは、簡単に使い捨てできる事ではなく、
「その瞬間にしか存在しない道具であり、そのために完全に清浄なこと」
だと考え、それは神宮が式年遷宮を行うことと同じ理由であると感じています。
そしてこれは、そんな意味を持った真っ白な木のお皿です。
材料は日本の杉や檜をスライスしただけのもので、
紙のお皿に比べ、ほとんどエネルギーを使わず、有害な廃棄物も一切でません。
また現在の日本では、積極的に針葉樹を使う事が美しい山に戻すことにも繋がっています。
使い終わりましたら、少しだけ山の事を想像して、自然に還してみてください。

The most beautiful moment is the scent hangs in the air when I plane the wood.
And It inspired me to make this production. I wanted to form that beautiful moment.
I think the wonderfulness of Disposable chopsticks is not easiness to throw away it is the tool only exist that moment and integrally immaculate.
It is same as the Shikinen Sengu (Construction of a new shrine) of Ise shrine. Ise shrine is the special place for Japanese.
It has reconstructed every 20 years from 1300 years ago. 65 of shrine buildings, attire, treasure, and bridge are revamped to keep the holy environment pure and clean.
Therefor this plate is significantly pure.
The material is only sliced Japanese cedar or cypress so it doesn’t use much energy and zero hazardous waste.
Today in Japan using needle leaf tree aggressively is lead to regenerate the beautiful mountain.
Please imagine the mountain for a moment when you finish to use and flow in the river or return to the earth.

千年昔

2016 12 23

地中に一千年埋まっていたという、神代杉。まだ、木の香りがする。気高い香りだ。
木は生きている間、自らは動けない代わりに、香りを持つことで虫や微生物、細菌などに抵抗する。
しかし正反対に、人々はその香りに魅了される。
木が生物として生き残ることを考えるのであれば、人間の嫌う香りを放つことの方が理に適っているはずだ。
そこに、自然界の大いなる知恵が隠されているのではないだろうか。

昇天へと

2016 12 15

全面に和紙を貼った棚。
和紙は、不可逆性のある素材だ。汚れたり破れたりしたら、もう後戻りはできない。
しかしその弱さは、強さにもなりうる。
(当然それは、素木にも言えることだ。)
和紙は黄ばんでいくものと思われがちだが、美濃和紙は年々、透明度が増していくのだという。
昇天へと向かう家具、となれるか。

木と人

2016 12 15

かつて日本の山には、杣(そま)と呼ばれる人々がいた。
杣とは、山へ入り木を伐り、またそれを運び出すことを生業とする人々である。

機械化が進んだ現代と違い、人間の体力と知恵、馬の力のみで険しい自然と巨木を相手にする仕事は危険を極めたが、今となってはそれを想像する事さえ難しくなってしまった。

そんな杣の仕事に欠かせない、「ヨキ」という道具がある。

それは一般に言う斧と同じ道具だが、杣の人々はヨキと呼ぶ。
そしてそのヨキには必ず、左面には3本、右面には4本の筋が入っている。
一説には、左側の4本は地水火風の4つの気を表し、それがヨキの語源にもなっているのだという。また反対側の3本の気は、ミキ、つまり御神酒(おみき)を表し、木を伐採するにあたって御神酒の側を木の方へ向け立てかけ、柏手(かしわで)を打ってから仕事にかかるのだという。

しかし、本当にそれだけのことなのだろうかと、何かがひっかかっていた。
そんな時、偶然にも続けざまに2つのことを知った。

長野県に秋山郷という雪深い集落があり、そこの杣人たちは3と4という数字を畏れ、自分の干支に当たる日から数えて3日目と4日目の日には、決して山へ入らないのだという。しかしその当人達も、ずっとそうしてきたから、という以上の事は知らない。

また別のところからは、陰陽道では3は奇数で陽、4は偶数で陰。
つまりヨキには陰陽が表裏の関係で存在している、と教えられた。

そこで何かが繋がった気がした。

陰と陽とは別のものでありながらも一体だ。
ヨキは道具の性質上、ひとつのものをふたつに分けるものであるが、それを陰と陽とに分ける事により、分けながらにして繋ぐ。木の伐採に関して言えば、伐採され木材になる側と切り株の側との記憶を繋げるような意味を持っているのではないかという気がした。
そして杣人達は、その数字を畏れながら、神性を感じているために山へ入らないのではないか。

木材として流通している一本一本の木が、その山々と今だ繋がっているのだとしたら、そんな願いをもって杣と言われる人々が仕事をしていたとしたら。
我々の木の扱いは、本当にこれでいいのだろうか。

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*この投稿は  COSMIC WONDER Free press へ寄稿した文章の転載です。