MASARU KAWAI

MASARU KAWAI

雑感

2017 02 21

僕の実家のすぐ近くに、巣雲院(皆、ソーニーと呼ぶ)という廃寺があるのだが、そこの関連行事で、「お日待ち」というものがある。
それは稲刈りが終わり、ほっと一息ついた頃の満月の夜、村人が集まり、月見をして餡子の餅を食べながら、夜通し狂俳(五七、または七五のみの句)を詠み合う、かつては農民の娯楽だった。
狂俳はお題があり、それについてユーモアを交えて詠む、今でいう川柳や、あるあるに近いものだそうだ。
僕の90歳になる祖母が、お義父さんから伝え聞いたというので優(ゆう)に100年は超えているのだが、その時の「あれ」という題について、「羽織の襟がちょっとなも」と詠った人がいたのだそうだ。
「あれ」は、あれ?でもアレでもなく、あれチョイとお前さん、みたいなニュアンスの「あれ」なのだが、そのお題に対して、羽織の襟がちょっと立ってますよ(なも、は意味のない方言の韻みたいなもの)と詠んだ句に対して、最高の<天>という点数が付いたそうだ。おそらく皆さんの笑いと、あるある〜!という大賛同があったのだろう。
稲刈りが無事終わり、収穫した米と豆で餡子餅を食べ、その年の田んぼや畑の事を語り合いながら、月見をして歌を詠み合う。なんて豊かな時間だったのか!
またその歌が、こうやって現代まで言い伝わってきた事にも、なにかとても感動してしまった。
現在のお日待は、みんなで集まってご飯を食べるだけのものになってしまっているそうで、おそらくあと10年もしたら、行事自体が無くなってしまうのだろう。
農業自体が変わってしまった今、そうなってしまうのも必然でしょうがないと思うのだが、どうかその、心の品や余裕みたいなものが無くならなければいいと願ってやまない。