MASARU KAWAI

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先日のこと

2017 05 04

先日、澁澤寿一さんのお話を聞きに行った。
寿一さんは、澁澤栄一の曾孫にあたる方である。澁澤栄一は言うに及ばず、日本に資本主義の考え方を持ち込んだ人物だが、寿一さんはその貨幣経済の限界や、現在のエネルギー面での危機的な状況を訴え、且つ日本の農村にかつてあった暮らしの中にこそ、人類が生き残るヒントがあると感じ、活動をしていらっしゃる。もちろん、ご先祖への尊敬を込めて。

そもそもこの講演会は、小さな小さな田舎の公民館で、主にその自治会に属する方に向けて行われた。
普通に考えれば、県や市が主催し数百人に向けての話であってもなんら不思議ではないのだが、集まったのは30人程度。それでも会場は一杯だ。
寿一さんを呼んだのは、30歳前後(もしかして20代?)の青年。
僕が感激したのは、若い一人の青年が、自らの手を動かして(大袈裟に聞こえるかもしれないが)世界を良くしようと活動するのみならず(僕を含めモノヅクリ作家にはこのタイプが多い)、地元の上の世代の方に呼びかけ、行動し、バーチャルではなく頭を突きつけてどうすればこの土地がより良くなるのか、どう残していきたいのか、を真剣に考える土壌ができつつあるのを目の当たりにしたことだった。

講演の中で、寿一さんが「エコロジカル・フットプリント」の話をされていて、要約すれば、

1961年、地球1個が年間に作るエネルギーのうち半分を人間が使っていた。
2001年、人間が地球1個分のエネルギーを使うようになった。
2006年、地球1.5個分のエネルギーを使うようになった。
今後、中国が先進国並みにエネルギーを使うようになると地球が2.4個必要で、
全世界がアメリカ並みの水準の生活をすると、地球は、5.5個必要になる。

のだそうだ!
これは、、、、壊れてしまう。
誰がどう考えても。。

その中で印象に残ったのが、「昔の続きを生きる」という考え方だったのだが、この集落では既にこの考え方を実践し始めているのではないかとさえ思えた。公民館に集まり、これからどうしていくかを議論し合うという点においても。スカイプとか、チャットとかでななくて。

おそらく、この考えを地域の方と共有することが、寿一さんを講師として呼んだ理由だったのだろう。
なんて、先見の明があるのか。

僕が少し前に読んだ本で、「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか?」というものがあって、やはり1960年を境に全てが合理的になり経済が発展していったのだが、それによって失ってしまった、言葉ではうまく表現できない不思議な事象が本当はとても大切だったのでは、という気づきからsomaの活動に繋がっていった。
それが、この集落では本当にそれを地でいくところに繋がっていきそうで、とても楽しみで、少しヤキモチじみた気持ちさえ感じてしまった。